2011年1月7日。
父は最後の入院をした。
その日の父は、自分の足で歩き、自分の言葉で話し、そして笑っていた。
2011年1月25日。
あの日の父は、居なかった。
薬の副作用が出ている為、僕を“息子”とは認識しなかった。
妹は“娘”として認識し、当たり前のように名前も呼ぶ。
痛みに歪む顔。
時折見せる無表情。
僕が中学に上がる時、長野へ越した。
父とペットショップへ行き、その日からコロが家族になった。
中学校へ入学してしばらくして、僕は少しだけ荒れた。
そんな時でも父は、僕の味方で居てくれた。
でも当時の僕には、それが当たり前だと感じていた。
父は時々ギターを教えてくれた。
高校に入り、父が使っていたギターを持ち歩く事が増えた。
かつて父がバンドを組んでいたという話を聞いた事がある。
僕も父と同じように、音楽に熱中し始めた。
進学の為、僕は上京した。
実家の僕の部屋の荷物は、父がはるばる長野から車で運んでくれた。
その日、近所の焼肉店で二人で食事をしたのだけれど、少し気恥ずかしかった事を今でも覚えている。
社会人になって1度だけ、父と母にクリスマスプレゼントをあげた事があった。
父には財布を、母にはバッグを。
実家に帰った時、父がその財布を使ってくれていて、凄く嬉しかった。
祖父が亡くなった日。
葬儀の為、家族4人が久しぶりに東京にいた。
コロは地元のペットホテルに預けられていたのだけど、祖父の告別式の帰りの日に死んでしまった。
妹からのメールで、父が泣いていた事を知った。
数年前、父が病に侵されているというメールが、母から届いた。
この時でさえ、僕はまだ事の大きさに気付かない程に子供だった。
それからは定期的に帰省するようにしていた。
それでも妹には適わなかったけど。
実家で父は、今までと変わらない父だった。
だから無知だった僕は、大丈夫なんだと馬鹿な安心をしていた。
でも本当は、辛かったんだと思う。
辛い顔や泣き言を、子供の前では口にしなかったから。
以来、入退院を繰り返していた父。
2月4日…。
父が亡くなりました。
おとん、ごめん。
何一つ親孝行してこなかった。
おとんには沢山助けてもらったのに、
おとんには何もしてあげられなかった。