おとん

投稿者: | 2011年2月15日

2011年1月7日。
父は最後の入院をした。
その日の父は、自分の足で歩き、自分の言葉で話し、そして笑っていた。

2011年1月25日。
あの日の父は、居なかった。
薬の副作用が出ている為、僕を“息子”とは認識しなかった。
妹は“娘”として認識し、当たり前のように名前も呼ぶ。
痛みに歪む顔。
時折見せる無表情。

僕が中学に上がる時、長野へ越した。
父とペットショップへ行き、その日からコロが家族になった。
中学校へ入学してしばらくして、僕は少しだけ荒れた。
そんな時でも父は、僕の味方で居てくれた。
でも当時の僕には、それが当たり前だと感じていた。

父は時々ギターを教えてくれた。
高校に入り、父が使っていたギターを持ち歩く事が増えた。
かつて父がバンドを組んでいたという話を聞いた事がある。
僕も父と同じように、音楽に熱中し始めた。

進学の為、僕は上京した。
実家の僕の部屋の荷物は、父がはるばる長野から車で運んでくれた。
その日、近所の焼肉店で二人で食事をしたのだけれど、少し気恥ずかしかった事を今でも覚えている。

社会人になって1度だけ、父と母にクリスマスプレゼントをあげた事があった。
父には財布を、母にはバッグを。
実家に帰った時、父がその財布を使ってくれていて、凄く嬉しかった。

祖父が亡くなった日。
葬儀の為、家族4人が久しぶりに東京にいた。
コロは地元のペットホテルに預けられていたのだけど、祖父の告別式の帰りの日に死んでしまった。
妹からのメールで、父が泣いていた事を知った。

数年前、父が病に侵されているというメールが、母から届いた。
この時でさえ、僕はまだ事の大きさに気付かない程に子供だった。
それからは定期的に帰省するようにしていた。
それでも妹には適わなかったけど。
実家で父は、今までと変わらない父だった。
だから無知だった僕は、大丈夫なんだと馬鹿な安心をしていた。
でも本当は、辛かったんだと思う。
辛い顔や泣き言を、子供の前では口にしなかったから。

以来、入退院を繰り返していた父。

2月4日…。
父が亡くなりました。
おとん、ごめん。
何一つ親孝行してこなかった。
おとんには沢山助けてもらったのに、
おとんには何もしてあげられなかった。

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