怒涛の1ヶ月

今月は東日本大震災があり、大変な1ヶ月となった。
被災地の復興を切に願う。

そして職場でも、良く行くお店でも転職をする人がいた。
寂しいけれど、それぞれの人生だ。
活躍を祈る。

zawawa…
zawawa…
zawawa…

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恒例行事

今日は7年の苦楽を共に働いたH君の送別会。
例によってサプライズな訳だけれども、風の噂で本人は薄々感づいてるという事だった。

当日直前に主賓から体調不良のメールが届き、
更に幹事の僕は夜勤明けだった事もあり、モチベーションは下降に下降を続けた。

お店は完全個人の趣味に走り、決めさせてもらった。
池袋のフガール・カフェというカフェバー。
そのお店には、ダーツが置いてあった。
『主賓とマネージャーに、父親の葬儀に参列して頂いたお礼をしたい』という口実で誘い出した訳ですが、
過去にその3人でダーツに行った事があったのだが、そのお店は今は…もう無い。
色々と段取りを考えてはいたが、前述の通り、主賓のH君が体調不良の為、儚くも計画通りにはいかなかった。
お店に着くと、支配人とT(新宿)が到着していた。
その後同僚達も合流し、更にO君(後楽園)とM君(名古屋)も駆け付けてくれた。

乾杯をし、各々食事やダーツ、なかなか顔を合わせない者同士の会話を楽しんで過ごした。

終盤。
それぞれに用意したプレゼントを渡してゆく。
そして主賓からの言葉…間が長い!(笑)
必死に涙を堪えようとする彼を、皆は温かい目で見守った。
中にはあまりに長いので、飽きてしまっている人もいた。
泣きそうに(既に泣いていたが)なり、しかしゆっくりと言葉を選びながら語った主賓。
今では何を語ったのか、思い出せない。

場所を変え、二次会。
二次会の最初は、人生相談だった。
それから仕事の話になり、職場の歴史の話になり、話のネタと笑顔は尽きなかった。

正直、彼が未だに辞めるという実感はまだ無い。
それは単に付き合いが一番長かったからか、
それとも唯一砕けた話を出来たからか、
その理由はまだわからない。

彼の存在は大きい。それ故に、抜ける穴も大きい。
httpv://www.youtube.com/watch?v=1NJV0dZ218M

日本代表対Jリーグ選抜

夜勤の仮眠時間中。
東北地方太平洋沖地震復興支援チャリティーマッチの再放送がされていた。
日本代表(SAMURAI BLUE) vs Jリーグ選抜(TEAM AS ONE)の試合。
おそらく、開催に際してはプロ野球同様、電力の問題等々の賛否は多数あったろう。

彼らの仕事はプロのサッカー選手。
被災地には、今はまだ娯楽は必要ないという声も分かる。
しかしながら、きっとその声の多くは“大人”の物では無かろうか?
なかなか状況を把握出来なかったり、
現状や今後の不安をうまく伝えられない“子供”の声ではないような気がする。
そんな彼らを勇気づけ、元気づけ、励ます為には今回のように開催しても良いんじゃないかと思った。
遠藤や岡崎、そしてカズのゴールを見て、多少なりともプラスになれば、それは正解なのではなかろうか?

cheese hamburger

計画停電のエリアが、細分化した。
不公平という声に配慮したのだろう。
我が町は、第2グループDに振り分けられた。
しかし東京は、少しずつ今回の震災・二次災害を忘れ始めてやいないだろうか?

明晩は、BAGHDAD CAFE WESTの主任のチャン氏最後の出勤日。
しかしながら、僕は夜勤のために顔を出せないので、今晩挨拶を兼ねて伺う事にした。
チャン氏には、本当にお世話になった。
思い返せば、初めて参加したハウストーナメントは、彼の誘いがきっかけだった。
そして、彼女との交際に関して相談に乗ってもらったり、励ましてもらったりしたのも、彼である。

今日は閉店時間を過ぎても、カウンターを挟んで色々と言葉を交わした。
寂しくなるなぁ。
また常連さんが離れるのかなぁ?
なんて考えながら、感慨深く会話をした。

彼の作った最後のチーズバーガー、完食しました。
お疲れ様でした。
新天地での活躍、期待致します。

募金

今日からまた仕事である。

午前中に家の事をしなくてはならなかったので
軽いプレッシャーを感じてしまい、まったく眠れなかった。
結果、ミスを犯した!
如何に実家で暮らしていた時に“楽”をしていた事か…。

帰りの新幹線の車内。
前の座席の下に、510円が落ちていた。
前に座っていた親子に聞いてみた。
「違います。」
隣に座っていたご婦人に伺ってみた。
「違います。」
「貰っちゃえば?」
「何も見てませんから(笑)」

貰う訳にはいかないので、会社に設置している
募金箱にそっと寄付。

魔裟斗

父の勤めていた会社の方のお宅に挨拶に行った。
あいにく社長夫妻は不在で、母のおばさんしかいなかった。
そのおばさん、いつも僕を「マサト君」「マサト君」と呼ぶ。
惜しいんだか惜しくないんだか、一文字しか合っていない。

その後、妹の運転でコロの眠るペット霊園に。
霊園といっても、お墓がある訳ではない。
お骨を置いている、いわゆる“納骨堂”のような場所である。
ゆくゆくは、集合墓地に入れると言っていたが、それも何だか寂しい気がする…。
僕の勤務先のお客さんが勤めるレストランが途中にある。
後部座席に座る僕は、運転席と助手席の会話に耳を傾ける。
「ここ、来た事あるよね」
「あんま美味しくないよね」

やっべぇ、何も言えねぇ…。

今日は一日中、雪が降っていた。
相変わらず、寒い日が続いている。
トイレの最中、カレンダーに目をやる。
父が他界した日、その日は立春だった。
おとん、春はまだ先のようだよ。

○| ̄|_

今月の給与額を見て、愕然・・・。
少ない、少なすぎる(;´д⊂)
大学生のバイト代並の金額。
ぐはぁっ!
嘘か真か、堀○君の給与もそんなもんだったらしい…。
今月~来月の給料日まで、果たして暮らしてゆけるだろか?

『手と手を合わせて、幸せ。南~無~。』の某仏具店と同じくらいに
県内では『一休さん』で有名な、近所にある大型仏具店で父の位牌を手配した。
最近は仏壇も色々な種類、多種多様なデザインの物がある。
しかし要は、故人への気持ちである。

夜中、なかなか寝付けなかった。
寝付きが悪いのはいつもの事だが、色々な考えや後悔が頭の中を巡る。
僕が就寝している部屋は、生前に父が眠っていた部屋だ。
入院する前、その部屋で父と二人、川の字になって眠ったが、
父は疼痛のせいであまり眠れなかったようだった。
何故、あの時に何もしてやらなかったのか。
何故、もっと世話をしてやらなかったのか。
今でも、後悔は尽きない。

四十九日

父が亡くなり、四十九日を迎えた。
実家には母が残っているが、僕と妹は共に上京している。
ちょくちょく実家には帰っているものの、
なかなかスムーズには事が進んでおらず、
結局お骨の方は今日には間に合わなかった。

夜はちょっと良いとこで、家族で食事。
しかし妹も母も料理に不満タラタラ・・・。
いやいやいや…。